名古屋高等裁判所金沢支部 昭和25年(う)332号 判決 1950年9月04日
被告人
工藤修二
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役参年に処する。
押収にかゝる赤革製二ツ折財布一個(証第一号)杉本あさ子の写真一枚(証第二号)は之を被害者西淵富子に還付する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
弁護人小室薰の控訴趣意第二点について。
(イ)、(ロ) 所論司法警察員の被告人に対する第一回供述調書は本件公訴事実以外の被告人に対する他の被疑事実に関する被告人の供述を内容とするものであることは所論の通りであるが、同被疑事実と本件公訴事実とを比照するに行為の種類、態様、時刻及び場所其の他の点に於て犯意及び構成要件事実が相互に関連又は酷似し、全体を一貫する犯罪成立の情況並びに被告人の主観、動機、傾向などを統一的に知らしめるのに有益であるから、右供述調書を本件証拠に提出すること自体は何ら裁判の公正を害し又は裁判官に偏見予断を抱かしめるものではなくむしろ事案の真相を明らかにし刑罰法令を適正に実現する刑事訴訟の目的に適合すべき措置である。又原審検察官が右供述調書を提出したことは、刑訴第二百五十六条第六項及び第三百二条に違反するものでもない、蓋し右第二百五十六条第六項は起訴状に予断を生ぜしめるおそれのある書類其の他の物を添附することを禁止したものであり第三百二条は捜査記録の一部で証拠能力のある書面の証拠調を請求するには出来るだけ他の部分と切り離してしなければならないということを規定したに過ぎない。即ち前者は公判開廷前には起訴以外の事件につき裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある一切の書類(其の証拠能力ある書面であると否とを問わない)及び物(その証拠物たると否とを問わない)と裁判官との接触を避止するいわゆる起訴状一本主義の立場から時間的に裁判官の偏見予断を予防する措置を講じ、後者は証拠能力のない捜査記録の一部か他の証拠能力を具備した部会の証拠調に同調して裁判所に顯出せられ、裁判官の心証に影響を与えることを物的に阻止する措置を図つたものに外ならないのである。然るに前記被告人の供述調書が原審に証拠調を請求せられたのは第一回公判期日であり、其の実施を経て原審に提出せられたのは第三回公判期日であるから其の原審に対する顕出が前記起訴状一本主義の原理と何ら牴触するものでないことは言うを待たないし、又同供述調書は被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面として刑訴第三百二十二条の証拠能力を有するのみでなく、原審第二回公判調書によると被告人を代理する関山主任弁護人は同供述調書の証拠調に異議がない旨を答述しているから、同書面が原審に証拠書類として証拠調を請求せられ、其の実施を経て原審に提出せられたことは、前記第三百二条と衝突すべき何らの筋合もないのである。従つて論旨は全く理由がない。
弁護人関山清の控訴理由第二点及び第三点、弁護人国本善造の同第一点、弁護人小室薰の同第三点について。
(ハ) 刑事訴訟法第二百四十一条は、検察官又は司法警察員は口頭による告訴又は告発を受けたときは、調書を作らなければならないと規定するのみで、其の調書の形式について定めるところなく、刑事訴訟規則においてもこの点に関する何らの規定がないから、司法警察員の作成した告訴権者たる被害者の供述調書に申告にかかる当該犯罪の犯人を処罰せられんことを求める意思の表示を録取した供述記載が存する以上、同調書は告訴権者の口頭による告訴のあつた事実を証明する文書として、裁判上有效なものというべく、本件に於て司法警察員作成の所謂西淵富子の供述調書第五項中「こんな悪い男は充分処罰してやつて貰いたいと思います」とあり同じく所論五十里百合子の供述調書第六項中「以上申した通りでありますが其の犯人の為私のみでなく、外に何人もやられた者がありまして、晩になると女は通る事を恐しがつておる様な状況ですから斯様な悪い者は厳重処罰して頂きたいと思います」との記載があるから、右各調書は同告訴人らの口頭による告訴の意思表示を録取したものとして有效な証明文書であると云わなければならない。尤も右西淵富子の分の調書第五項に前記文詞に続いて「今迄申したことに依り、之を以つて告訴にして貰つても結構です」との語句が附加されて居り、右五十里百合子分の調書第六項には前記文詞に続いて「其の為め私の告訴状が必要とあれば、只今からでも口頭で告訴致しますから再びこの様な事をせない様に処罰して下さい」との文句が附陳されている事実を捉えた弁護人は其の前後矛盾を指摘し、延いて告訴意思の不分明を主張するけれども、右はいづれも告訴の形式に関する配慮の不安から不用意な蛇足を附したものに過ぎないことが明らかであつて、夫々これを前後一貫して通読すれば、告訴権者として被害者が犯人の処罰を求める意思を明らかに表示している事実を否定することが出来ない。このことは右両被害者が原審第三回公判期日に於て本件につき、警察で告訴の意思を表明し其の調書を取つてもらつた旨の証言を行つていることによつても裏書せられるところである。
(ニ) 尚お弁護人は検察官又は司法警察員は口頭による告訴を受けたときは、其の調書を作成すべく被害者の供述調書中に告訴の趣旨を記載し、告訴調書に代えることを得ないと主張し、其の理由として一件記録に添付綴込みをする文書について何らの制限のなかつた旧法と大いに異り、法廷に顕出しうる文書につき厳重な制限を設けた新法にあつては、被害者の供述調書のような被告人の同意のない限り、特殊の例外の場合を除いては、法廷に提出することの出来ない文書の一部に告訴の意思表明の記載があつても終に之を法廷に提出することが出来ず、従つて裁判所をして親告罪の訴追条件を具備するや否やを知るを得ざらしむに至るからである。との趣旨を陳述するので、考察するに口頭の告訴があつた場合に作成すべき調書の形式につき何らの定めのないことは前記の如くであり、旦つその記載内容についても積極及び消極の両面に於て別段の法定記載要件を要求する規定がないことと、告訴とは告訴権者が其の見聞によつて知り得た犯罪事実を官に申告するものであることの本質から推論すれば、右申告における犯罪事実の陳述及び録取の形式並びに内容の具体的たると、抽象的たると、亦詳細たると簡略たるとを問わないものと云うべきであり、従つて所論被害者即ち告訴権者の犯罪申告が告訴調書の形式によらないで、供述調書の形式に於て録取せられ、且つ詳細具体的に犯罪事実の内容を具陳したものであることを理由に、其の告訴調書たるの実質及び其の效力を否定することは当らないものと云わなければならない。尤も右供述調書は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号の書面として特定の条件の下に犯罪事実に対する証拠となる一面を有するものであつて、この部面に於ては右条件が具備し、又は獲得せられない限り法廷に顕出することを得ないことは言うまでもないところであるが、このことは固より犯罪事実の証拠としての目的の下に於て然るのであり、告訴事実の証明目的の下に提出されることは何ら妨げられるものではない。もつとも此の場合には事実上被害者の供述内容が裁判官の視覚に触れることを免れないのであるけれども其の提出の時期及び段階を適当に考慮調整(この場合被告人及び弁護人の異議権の行使はこの目的に役立つであろう)すれば、裁判官の心証形成過程に不当な予断を及ぼすおそれを防止することが出来るものと考えられる。若しこのことすらも許されないとすれば凡ゆる告訴状及び告訴調書は終に法廷に顕出しうるものは、皆無となるおそれのある事実を承認しなければならぬ。蓋し一般に告訴状及び告訴調書は、前記刑訴第三百二十一条第一項第三号の書面たることを得べき性質を具備するものであることは、告訴が前記の如く犯罪事実に関する告訴権者の見聞を官に陳述し、犯人の処罰を求めるものであることの本質から云つて当然の事であり、従つてそれは右同条項に規定する特殊条件又は被告人の同意の下に犯罪事実の証拠たることをうるけれども、右条件を具備し又は被告人の同意を獲得しない限り証拠として裁判所に顕出することを得ない文書であり、従つて亦それは弁護人の前記与件によれば、終に法廷に顕出する機会を与えられないこととなる筋合であるからである。
以上の理由により弁護人らが本件につき被害者らの告訴意思の不明確及び其の適法な証明文書の存しないことを論評する主張は凡てこれを採用することが出来ないのである。
尚お弁護人は右論点に関連して原審が被告人及び弁護人の唱えた不同意を無視して、前記供述調書を告訴調書として受理する決定をし、公判に顕出せしめた措置は被告人の権利を侵害し、且つ裁判官に偏見予断を抱かしむるに足るものを法廷に顕出せしめた違法があると主張するので、更に一言を附加するに右供述調書は特定の条件又は被告人の同意の下に犯罪事実の証拠となる一面を有すると共に他面に於て告訴を証明する文書としても有效であり、この後者の目的の下に法廷に顕出することを妨げられるものでないことは既に説示した通りであるから原審が右調書を告訴を証する文書として受理したことには何らの違法なく、亦此の場合其の提出に被告人の同意を要するものでないことも多言を要しない。もとより右文書両面の性質は観念上の区別に過ぎず物理的に之を区分提出することは不可能であるから事実上同書面に記載された犯罪事実に関する告訴権者の供述内容が裁判官の耳目に接触することは避け難いことであるが、これは本件供述調書のみならず一般に告訴状及び告訴調書の通有する本質から由来するのであつて、本件調書に特有のことではないから、右の理由で本件調書の告訴調書としての提出をも許さないとすれば、一般に告訴状及び告訴調書の提出は不能となる旨を述べて、この点に関する弁護人の主張の非なることを論証し、更に右のことから裁判官に不当の偏見予断を生ぜしめるおそれを防止する為め、其の提出の時期段階を適当に考慮するのが妥当である旨論結したことは既述の如くである。本件に於て原審公判調書及び昭和二十五年二月九日附検察官の冒頭陳述要旨並びに証拠調請求書によれば原審第一回公判期日に於て検察官は前記被害者の各供述調書を本件罪体の証拠として其の取調を請求したところ、被告人及び弁護人の不同意によつて果さなかつた為め、右被害者両名を証人として原審公判廷に喚問を求め、第三回公判期日において出廷した同証人らの証言が行われたのを始めこの間の各公判期日に於て罪体其の他に関する諸般の証拠調が完了した後第四回公判期日に至り、検察官は改めて前記被害者の各供述調書を告訴調書として提出する旨を述べ各弁護人らは之に反対したけれども、裁判長は合議の上右調書を告訴の調書として受理する旨宣し、検察官の提出する同調書を受理した事実の経過が認められるのであり、かかる審理の時期段階において検察官の右調書の提出を許した原審の措置は、前記裁判官の心証形成過程に及ぼすかも知れない危険を避くべく、最も無難な時期及び局面を選んだものというべきであり、従つて右供述調書を受理した原審の措置には如何なる点に於ても何らの違法なく、弁護人の右主張は排斥されなければならない。
(註・本件は量刑不当により破棄)